もしかすると、ここ日本
にも突然やってくるかもしれません。
危機が転じて、本当の「幸せ」な世の中が
実現できる可能性があるのかもしれませんね。
私の友人「おかちゃん」のメルマガより
【ここから】
■ キューバ
おかちゃんです。
世界はウクライナ内戦、中東でのISIS国の台頭など、、
とてもきな臭くなってきております。
こんな時こそ、カリブ海の「キューバ」の国民が経験したことを
我々が学ぶことで、こころに温かさと勇気が沸いてきます。
◆ アメリカのお隣り
キューバという国はカリブ海にある細長い島に1100万人ほどの
人々が住んでいる共和制国家です。
大きさは、日本の北海道、東北の三県を合わせたくらいの面積です。
フロリダ海峡を隔ててキューバの北に約145キロ先にはアメリカ
合衆国のフロリダ州があります。
◆ アメリカのコントロール
1956年までは、アメリカは傀儡政権(かいらいせいけん)を
キューバにつくり、実質的にアメリカがキューバをコントロール
しておりました。
キューバの立地はアメリカの安全保障にとってはとても重要な国
だったのです。
◆ 一度目の革命
カストロ兄弟、ゲバラ氏等が活躍して、キューバは本当の
意味で独立し、革命政権が1959年に出来上がりました。
カストロ政権では次の改革を断行しました。
・農地改革(アメリカの企業所有地から人民へ開放)
・アメリカ系石油資本を国有化
・当時のUSSR・ソ連との同盟関係を結ぶ
◆ 経済封鎖
このスッタ・モンダでとうとう、アメリカはキューバを経済封鎖を
することになったのです。 いまから52年も前の話です。
(先日、オバマ大統領が突然このキューバの経済封鎖を解くとの
発表がありました。)
◆ キューバ危機
キューバが原因となり、ソ連とアメリカの仲が冷え切り、
なんと核戦争・一歩手前まで行ったのは、こんな時だったのです。
映画「13DAYS」にもなりました、
◆ ソ連の崩壊
1991年、それまでキューバにとってスポンサーのような存在
だったソ連が突然、崩壊しました。
ソ連の崩壊で、なんとそれまでの食糧を全部、輸入に頼っていた
キューバは、突然、猛烈な経済危機、食糧危機に陥ったのです。
これが、実質的なキューバの第二革命だったのです。
キューバ・絶体絶命の大ピンチです。
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■ キューバの農業
食糧がすぐに底をつきました。 そこで、当時のカストロ政権が
とったのは、国民・総農業でした。 どんな、小さな土地でも大切
にして、そこで農業をやることです。
◆ 告白
当時のカストロ首相は、ラジオ放送で:
・米の備蓄は「ゼロ」
・豆は必要量の半分しかない
・植物油は16%しかない
・バターは50%
・粉ミルクは20%
と、、本当の事、実情を国民に訴えました。
◆ サバイバル・DNAスイッチオン
これで、キューバの国民一丸になってのサバイバル活動がスタート。
国有地はだれでも手を上げた人に貸し出し、農地に転用しました。
さらに、都会に住んでいる人は空き地を全て農地にしました。
化学肥料が買えないので、全て有機農法、微生物、自然農法です。
みみずを有効利用した完全循環の農業です。
◆ 役所・官庁街全て
特に役所、官庁街の空き地は率先して農地に転用されたのです。
それまでの、コンクリートをはがし、農地を作って畑にしたのです。
◆ 健康体
それまでは、キューバの国民の40%くらいは太りすぎだった
ものが、三年後の1993年には国民全体が平均で9キロも
体重が減り、健康体質になっていたのです。
いま、キューバの人に聞いてみると、物は無いが「今の方が幸せ」
と答えています。
◆ キューバのような状況
日本もいまこそ、食糧がありあまるほどあり、身の回りも物で
潤っています。
キューバのような、絶対絶命の危機が、、もしかすると、ここ日本
にも突然やってくるかもしれません。
そのときは、キューバのことを思い出しましょう。
もしかすると、危機が転じて、本当の「幸せ」な世の中が
実現できる可能性があるのです。